
私の心に一番残ったのは、大川小学校。生活感のない街に残された小学校で当時の様子を聞きました。
少し珍しいモダンなつくりの小学校は、外壁は剥がれ、剝き出しになった鉄骨はぐにゃりと曲がり、津波の威力の凄まじさを目の当たりにしました。
黒板や机が残っていたり震災前の学校生活の様子を写真で拝見し、のどかで楽しい学校だったのだろうと児童の笑い声が飛び交っている様子に思いを馳せては、切なくなりました。
揺れが収まってから、皆が校庭に避難する中、6年生は山の方へ逃げました。しかし、先生方は勝手な行動をするなと注意し、校庭に戻しました。
それから約50分間。寒空の下、避難した人々は校庭で待機しました。その間、先生方はこれからどうするかを話し合っていましたが、校庭にいた数十名の命が、一時にして津波に飲まれてしまったのです。
今回語り部をしてくださった三條さんも、ご家族を津波被害で亡くされており、はじめは語り部なんかできるのだろうか、泣き出してしまいそうだと思っていたそうですが、多くの人の思いを背負い、同じようなことが起こらないように語り伝えていくことにしたと教えてくれました。
今も自分の知らないところで、戦い続けている人がいることを知りました。