危機意識の高さが分けた命運

戸倉小学校は海から約200m、川から約250mの位置にある学校の為、津波の被害が予想されました。校長先生はもし津波が起きた場合、「屋上」に避難することを考えていたようですが、地元の教えを受け継ぐ教職員からは「高台」に逃げることが最善だと声がありました。そして、震災があったあの日、「高台」に全児童を避難させ、全員無事だったそうです。日頃から行っていた避難訓練や避難マニュアルの見直しなど、当時の校長先生の危機意識の高さと1960年のチリ地震津波を経験した教職員の判断が結果として多くの人の命を救うことになりました。
大川小学校は全校児童108名中74名の児童が死亡あるいは行方不明となり、教職員も10名が亡くなりました。学校の管理下で、これほどまでに大きな被害があった大川小学校とは対照的な結果に、日頃の危機意識の高さが命運を分けたのかなという印象でした。