危機意識の高さが分けた命運

戸倉小学校は海から約200m、川から約250mの位置にある学校の為、津波の被害が予想されました。校長先生はもし津波が起きた場合、「屋上」に避難することを考えていたようですが、地元の教えを受け継ぐ教職員からは「高台」に逃げることが最善だと声がありました。そして、震災があったあの日、「高台」に全児童を避難させ、全員無事だったそうです。日頃から行っていた避難訓練や避難マニュアルの見直しなど、当時の校長先生の危機意識の高さと1960年のチリ地震津波を経験した教職員の判断が結果として多くの人の命を救うことになりました。
大川小学校は全校児童108名中74名の児童が死亡あるいは行方不明となり、教職員も10名が亡くなりました。学校の管理下で、これほどまでに大きな被害があった大川小学校とは対照的な結果に、日頃の危機意識の高さが命運を分けたのかなという印象でした。

インタビューした人:
ホテル観洋 語り部バス 伊藤さん
この記事を書いた人 :20代 女性 S・A


TOHOKU VOICE

相日防災 東北視察 全社員統一プロジェクト

2021年3月~2022年3月にかけて総勢130名の相日防災株式会社の社員が4~5名ほどのチームを組み、東日本大震災の被災地(岩手県・宮城県・福島県)へ視察に赴きました。ここTOHOKU VOICE(トーホクボイス)では、その視察で聞いた生の声や、それぞれが感じたことをレポートにしたものを抜粋して、一言ずつご紹介しています。
●現地の声を、極力そのまま掲載しております。
●会話の一部を抜粋し、メッセージのように掲載しております。

※TOHOKU VOICE は、現地で聞いた生の声をそのまま掲載するよう心がけ編集されております。一部、内容を正確に伝えるための編集が加わっていることをご理解ください。(主語の補足、倒置法の修正等)
※また、現地の声を耳で聞いたものをメモやボイスレコーダーに記録し、それを元に文字を起こしていますので、言い間違い、聞き間違い等が含まれている可能性があります。