避難先は屋上、それとも・・・一瞬の選択

旧戸倉小学校は津波避難の際は屋上への避難を呼び掛けていたそうです。過去に起きた津波被害からの教訓を基に決められたとの事でしたが、東日本大震災の際に避難した場所は少し離れた裏山への避難でした。
高野会館では屋上へ避難された方々が助かり、建物を離れ避難された方々が被災されたとのお話もお伺いしました。
いずれの建物でも恐怖と戦いながら生死を分ける究極の選択に迫られた状況であったことを窺い知ることができました。

インタビューした人:
ホテル観洋 伊藤さん
この記事を書いた人 :30代 男性 K・T


TOHOKU VOICE

相日防災 東北視察 全社員統一プロジェクト

2021年3月~2022年3月にかけて総勢130名の相日防災株式会社の社員が4~5名ほどのチームを組み、東日本大震災の被災地(岩手県・宮城県・福島県)へ視察に赴きました。ここTOHOKU VOICE(トーホクボイス)では、その視察で聞いた生の声や、それぞれが感じたことをレポートにしたものを抜粋して、一言ずつご紹介しています。
●現地の声を、極力そのまま掲載しております。
●会話の一部を抜粋し、メッセージのように掲載しております。

※TOHOKU VOICE は、現地で聞いた生の声をそのまま掲載するよう心がけ編集されております。一部、内容を正確に伝えるための編集が加わっていることをご理解ください。(主語の補足、倒置法の修正等)
※また、現地の声を耳で聞いたものをメモやボイスレコーダーに記録し、それを元に文字を起こしていますので、言い間違い、聞き間違い等が含まれている可能性があります。