
震災から10年の節目を迎えようとしていた2021年2月28日のTSUNAMIメモリアル。
「説明しようか?」と気さくに声を掛けてくれた女性は「混まないうちに来ておこうと思ってさ」と話し出した。
横浜に住む息子さんは10年の節目なのにコロナ禍で帰ってこられないのだそう。
「1本松とユースホステルの遺構は、2つで1セットで、ある意味「映える」んだよね。」
随分ドライだなと思っていると、すぐ横に見える気仙中学校の遺構は、「遺構にしないでさっさと壊して欲しい。見るのも辛い」との事。
「ママともが何人も亡くなって、3月になると胸がザワザワして落ち着かないの」
警備員さんだったり、学校の先生だったり、ウォーキング途中の男性だったり、視察中、色々な方から「説明しましょうか?」と声を掛けられた。
説明を聞く事が「疑似体験」となり、聞いた人が地元に戻って伝えてくれたら良い。
疑似体験した事が、いざというときの行動に生かされれば良い。
そんな、東北の人々の「伝えたい」という想いをとても強く感じました。