
「震災遺構大川小学校」に到着してすぐ耳に入ってきたのが、震災後、自然に祭壇となった校門で唱えられていた御経の声でした。10年の歳月が経った今も尚、癒えることのない現状を目の当たりにし、学校に響く声が悲しく感じられました。
どの選択が正しかったのかは、経験していないわたしには到底計り知れないことです。
ただ、大川小学校での出来事は、その行動の選択により、救えた命があったことは紛れもない事実であった。
命を救うのは「判断と行動」です。時間・手段・情報も、マニュアルも研修も訓練も、いざというときの判断・行動に結びつくものではなければなりません。
本当に恐ろしいのは津波ではなく、大事なのものが見えなくなってしまうことです。
コロナ禍での視察研修となりましたが、「来てくれてありがとう。」「また来てね。」の笑顔の言葉が心に沁みました。
東北の現状を学ぶだけの研修ではなく、優しさにふれることも出来た貴重な体験でした。