危機意識の違いが分けた明暗

ホテル観洋の語り部バスで伺ったお話。
震災前、戸倉小学校へ当時着任された校長先生が、避難場所は小学校の屋上へ変更するべきと提案されました。職員会議で話し合われ、結局1名が反対し意見がまとまりませんでした。その職員は地元出身で代々この地区の津波被害について幼い頃より伝え聞いていたようでした。最終的に避難所は近くの高台へ決定いたしました。
まさに決まったその年、東日本大震災が発災し、小学校の児童は高台目指して避難開始、児童及び職員が目にした光景は、自分たちがつい先ほどまで居た校舎の屋上を飲み込む巨大な大津波でした。
避難した高台も危険な状況となり、またその上の神社まで登り避難し全員の命が助かったそうです。
対して、大川小学校は北上川河口から4キロの川沿いに位置しており、防災マニュアルは、「高台に上がる」と記してあり具体的な避難場所は各学校に委ねられていました。
宮城県も石巻市も地域住民も津波がここまで来る認識が無く、この危機意識の違いが命の明暗を分けました。
10年経った今でも大川小学校の行方不明者の捜索を、まだ見つからない子供の事を両親は探し続けているそうです。

インタビューした人:
ホテル観洋 語り部バス 伊藤さん
この記事を書いた人 :50代 男性 T・O


TOHOKU VOICE

相日防災 東北視察 全社員統一プロジェクト

2021年3月~2022年3月にかけて総勢130名の相日防災株式会社の社員が4~5名ほどのチームを組み、東日本大震災の被災地(岩手県・宮城県・福島県)へ視察に赴きました。ここTOHOKU VOICE(トーホクボイス)では、その視察で聞いた生の声や、それぞれが感じたことをレポートにしたものを抜粋して、一言ずつご紹介しています。
●現地の声を、極力そのまま掲載しております。
●会話の一部を抜粋し、メッセージのように掲載しております。

※TOHOKU VOICE は、現地で聞いた生の声をそのまま掲載するよう心がけ編集されております。一部、内容を正確に伝えるための編集が加わっていることをご理解ください。(主語の補足、倒置法の修正等)
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