励ましあいながら、父親として

沖見屋は震災の影響で全壊してしまいましたが、畠山さん含め、岩井崎地区の方々は近くにある避難場所の神社に避難した為、無事だったそうです。
消防団で活動していた畠山さんは、震災の翌日から消防団の活動をしたそうです。消防団の中には家族を亡くした方もいたとのことでした。
そんな状況の中で、消防団の活動内容はとても過酷なもので、瓦礫で塞がれてしまった道をトラックで行けるところまで行き、遺体を担架に乗せて小学校まで運ぶというものでした。
約1か月、何人もの人がうつ状態になりながらも、夜にはお互いに励ましあいながら活動を続けたそうです。消防団活動が終わった後は、色々な仕事を夢中でやったそうです。
こんな時に無気力になって何もしないのではなく、がむしゃらに仕事をして格好いい父親の姿を家族に見せたかったと話していたのが印象的でした。