私の心に一番残ったのは、大川小学校。生活感のない街に残された小学校で当時の様子を聞きました。
少し珍しいモダンなつくりの小学校は、外壁は剥がれ、剝き出しになった鉄骨はぐにゃりと曲がり、津波の威力の凄まじさを目の当たりにしました。
黒板や机が残っていたり震災前の学校生活の様子を写真で拝見し、のどかで楽しい学校だったのだろうと児童の笑い声が飛び交っている様子に思いを馳せては、切なくなりました。
揺れが収まってから、皆が校庭に避難する中、6年生は山の方へ逃げました。しかし、先生方は勝手な行動をするなと注意し、校庭に戻しました。
それから約50分間。寒空の下、避難した人々は校庭で待機しました。その間、先生方はこれからどうするかを話し合っていましたが、校庭にいた数十名の命が、一時にして津波に飲まれてしまったのです。
今回語り部をしてくださった三條さんも、ご家族を津波被害で亡くされており、はじめは語り部なんかできるのだろうか、泣き出してしまいそうだと思っていたそうですが、多くの人の思いを背負い、同じようなことが起こらないように語り伝えていくことにしたと教えてくれました。
今も自分の知らないところで、戦い続けている人がいることを知りました。
- インタビューした人:
- 石巻市震災遺構大川小学校 語り部 三條すみゑさん
- この記事を書いた人 :20代 女性 R・M
2011年3月11日の東日本大震災の津波により、大川小学校の児童・教職員84名、大川地区全体で418名の方々が犠牲となりました。犠牲者の慰霊・追悼の場とするとともに、震災被害の事実や、学校における事前防災と避難の重要性を伝えていくことを目的に公開します。
TOHOKU VOICE
相日防災 東北視察 全社員統一プロジェクト
2021年3月~2022年3月にかけて総勢130名の相日防災株式会社の社員が4~5名ほどのチームを組み、東日本大震災の被災地(岩手県・宮城県・福島県)へ視察に赴きました。ここTOHOKU VOICE(トーホクボイス)では、その視察で聞いた生の声や、それぞれが感じたことをレポートにしたものを抜粋して、一言ずつご紹介しています。
●現地の声を、極力そのまま掲載しております。
●会話の一部を抜粋し、メッセージのように掲載しております。
※TOHOKU VOICE は、現地で聞いた生の声をそのまま掲載するよう心がけ編集されております。一部、内容を正確に伝えるための編集が加わっていることをご理解ください。(主語の補足、倒置法の修正等)
※また、現地の声を耳で聞いたものをメモやボイスレコーダーに記録し、それを元に文字を起こしていますので、言い間違い、聞き間違い等が含まれている可能性があります。