最終日は、宮城県石巻市、南浜・門脇エリアに建つ南浜つなぐ館へお伺いし、石巻3.11みらいサポート様の学習プログラムを体験させていただきました。

この記事を書いた人
防災士 小松正幸
(相日防災株式会社 課長)
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2013年6月防災士資格取得。あんしんの殿堂防災館本店の店長として、防災業界に精通する、防災のスペシャリスト。主に企業備蓄・自治会備蓄のサポートに日々尽力している。熊本地震(2016年4月)、北海道胆振沖地震(2018年9月)の際には、いち早く被災地に駆けつけ、被災地支援と現場視察を行った。

石巻3.11みらいサポート 学習プログラム

石巻3.11みらいサポート様は、公益社団法人として伝承活動はもちろん、震災を知らない世代や、経験したことのない地域の方へ防災教育を行い、防災・地域づくりのサポートをしています。

今回お伺いした南浜つなぐ館は、2015年11月、東日本大震災の津波により1,800世帯の住宅街が流出してしまった南浜・門脇エリアに開館しました。有名な「がんばろう!石巻」の看板のすぐ近くにあります。(2016年7月に整備に伴い看板とともに少し場所を移転しています。)

南浜つなぐ館は石巻3.11みらいサポート様が運営し、震災前の情景を表すジオラマや写真資料が展示されています

案内して下さった担当の藤間さんは偶然にも同じ神奈川県出身とのこと。3.11のボランティア活動から、そのまま東北移り、現在の伝承活動をされているそうです。「最近、ようやく水洗トイレができたんです」と、嬉しそうに話してくれました。

<学習プログラム>

まずは南浜つなぐ館内にある、震災前の町並みを再現したジオラマ模型を見ながら、震災前の様子を説明していただきました。

震災前のハザードマップでは浸水想定地域は海に接触するわずかな部分。

宅地になったのが戦後なので、過去の地震の影響など、記録が無かったことが、津波に対して想定が甘くなった理由とのことでした。

地震後の住民の行動は・・

この南浜つなぐ館では、街中で、津波がどのよう迫って来たか、その中で住民がどう動いたかが分かるように100人の避難行動がシミュレーションで映像化され、プロジェクションマッピングで確認することが出来ます。

実際に住民の行動を見ると、津波が来ているのに、海の方に向かう人がたくさんいました。家族を助けたい、置いてはいけないという心理なのだと思います。

子供たちが下校する時間帯、午後2時46分ということも大きく影響したようです。津波が来ることは分かっていたが、かわいい孫を置いてはいけない、そう思った高齢者も多かったのではないでしょうか。

逃げられない理由⇒その時になってみないと分からない。自分が、家族がどのような状況か。時間帯によって異なるのであらゆる状況を想定して、いざという時の行動を考えておく必要があります。

タブレットを使い、当時の情景を見ながら、石巻の街を歩く

タブレットで震災前の情景を見て比較しながら、今の町を歩き、現地の状況をその場でご説明いただきました。

少し歩くと門脇小学校が見えてきます。

門脇小学校

津波の高さは6mでしたが、校舎は火災によって3階も損傷しました

門脇小学校は、発災当時、一部の生徒は下校していましたが、8割の生徒が校内に残っていたそうです。先生の素早い誘導の元、裏山に避難。一旦下校して戻ってきた人数を含めて275名の生徒が裏山に登ったそうです。

生徒の保護者らも学校に迎えに来ていたそうですが、時間との戦いだった為、確認して引き渡すのではなく、保護者も山に登らせたといいます。そして、その移動最中に、先生に告げることなく子供を連れて帰った親子は、津波で亡くなっているそうです。

門脇小学校では、以前からこの裏山への避難訓練が実施されていました。そのため、意思決定でも揉めることなく、先生・生徒・保護者に至るまでスムーズに避難が行われたと考えられます。

学校の脇には高台に避難出来る坂があります。

震災後の復興の取り組みとして、この高台に通じる避難階段が作られました

スロープなどが無く、高齢者が避難できるのかなど、気になる点もありました。
高台から見た街並み。

がんばろう石巻

南浜つなぐ館のすぐそばには、「がんばろう!石巻」と大きく書かれた看板があります。こちらは地元の方が、震災の1か月後に津波に負けない気持ちを表そうと自宅の跡地に掲げたものです。

震災当時の様子
5年前に来たときは周囲は草がいっぱいでした
現在の様子

震災から、ずっと地元の方たちを励まし続けたこの看板は、現在3代目になるそうです。

がんばろう石巻のすぐ側には災害公営住宅が建っています

震災前、この地域には4500名が住んでいたそうです。震災後、1000人を目標とした街づくりを進めて来ましたが、実際には500人程度しか戻ってきていないとのことでした。

高台やスーパーなどが近くにある地域へ移り住んだ人もいるが、被災した土地は2束3文にしかならない為、被災者が新しい土地を購入するのは、なかなか厳しいものがあるということでした。

印象に残った学習プログラム担当者の藤間さんの言葉

逃げられない理由を事前に把握、想像するのは難しい。時間帯、季節、その時になってみないと分からない。だから自分に近い年齢の人、家族構成の人の話を聞いてみてほしいということでした。

「それは自分も当てはまるリスクかも」と気づくことが出来ますし、実際にその場所を見て、話を聞くことはリアルな疑似体験となり自分の命を守るヒントとなります。

ちょっとした体験が命を守るきっかけになる。それが私たち語り部の役割。 人の気持ちは変わるもの。伝え続けなくてはならないことがあると思っています

東北視察を終えて

震災から10年というのは、私たちから見た、ただの月日の区切りであって、被災地の方たちは、今も復興に向けた活動を続けているということ。それを肌で感じることが出来ました。つらい話、思い出したくない話を涙ながらに話してくれた方々。本当に感謝しかありません。話を聞いて、遺構見て、気になった点は自分で調べたりして、「その時、自分ならどうするか」を考えることが出来ました。

被害状況を知り、どうしようもなかったと結果をただ受け止めるのではなく、「今後どうしたらよいのか」という教訓にするためには、ありのままの事実を公表すること、そして受け取る側として、正しく理解して伝えていく。風化させないことが未来の命を守ることにつながると思います。

今回、私が見てお伝えしたことは、東日本大震災の一部のエリアの情報です。他にもたくさんの伝えなくてはいけない情報があると思いますので、少しでも多く、これからも発信したいと思いました。

最後に、内閣府のインターネットテレビにも出ている内容ですが、とても役立つ情報なのでお伝えしたいと思います。

津波から命を守る!
津波避難三原則

  • 1、想定にとらわれるな
    ハザードマップはあくまで予測である。想定外も起こる
  • 2、その場その場で最善を尽くせ
    一時的に避難した場所が、一番安全な場所かどうかは分からない。その場所に固執せず。より安全な場所へ。
  • 3、率先避難者たれ
    自分だけは大丈夫と思わない。自分がまず逃げることで、周りも逃げるようになり、結果多くの人を救うことになる

津波から命を守る! 津波の避難3原則|政府インターネットテレビ (gov-online.go.jp)

これは津波災害以外にも通じると思います。日頃から「いざという時は〇〇に行く。ダメだったら次はxxへ」と、家族皆で共有しておけば、いざという時、冷静に行動できるし、安否確認もスムーズにできます。災害対策の基本だと思うので、私も家庭に今一度徹底して伝えておきたいと思います。

「あの子なら大丈夫。きっと逃げている」と信じて最善の行動をとることが、お互いの命を守り合う絆となると教えてくれました。

一人でも多くの人を守るために。

伝えていただければと思います。有難うございました。