2日目は高田松原津波復興祈念公園の中にある、TSUNAMIメモリアルで、解説員の熊谷さん(震災当時、高校1年生)の体験談もお聞きしながら施設内を視察しました。 その膨大な資料から学んだことを、自分なりにまとめてご紹介してみたいと思います。

※視察の際は新型コロナウイルス感染症の対策を万全に取り行いました。(マスク着用・手指消毒の徹底、ソーシャルディスタンスを保っての取材)

この記事を書いた人
防災士 小松正幸
(相日防災株式会社 課長)
この記事を書いた人
2013年6月防災士資格取得。あんしんの殿堂防災館本店の店長として、防災業界に精通する、防災のスペシャリスト。主に企業備蓄・自治会備蓄のサポートに日々尽力している。熊本地震(2016年4月)、北海道胆振沖地震(2018年9月)の際には、いち早く被災地に駆けつけ、被災地支援と現場視察を行った。

いわてTSUNAMIメモリアル

いわてTSUNAMIメモリアルは、岩手県の施設で、全てが流されてしまったかつての高田松原の地に、津波災害の恐ろしさ、教訓を伝承するために建てられました。

TSUNAMIメモリアルは大きく4つのゾーンに分かれています。

~ ゾーン1、歴史をひもとく ~

三陸中心に何度も繰り返し襲来した津波の歴史について知ると共に、津波ついての基礎知識を得ることが出来ます。

津波について

ポイント1、津波を見てから逃げたのでは間に合わない!津波はオリンピック選手並みの速さ。

海岸付近の10m程度の浅瀬でも時速36km。オリンピックの100m選手並みの速さになります。

ポイント2、高さに油断しない。

30cm程度の波の高さでも足を持っていかれるといわれておりますので、地震が来たら、海・川から離れる。高台に避難する。これは鉄則です。

ポイント3、地震の揺れの大きさに関係なく大きな津波が来ることがある。

 1896年に起きた明治三陸地震では震度2から3の緩い揺れだったが、約30分後に最大22m程度の津波が東北地域を襲い、22,000人の死者が出ました。

これにより1980年以降、岩手県はハザードマップを配布したり、防災教育に力をいれることになり、1990年以降には、つなみてんでんこという言葉も生まれました。

「津波てんでんこ」は津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ、自分の命は自分で守れの意

実際、「津波てんでんこ」を標語に防災訓練を受けていた釜石市内の小中学生は地震の直後から教師の指示を待たずに避難を開始。「津波が来るぞ、逃げるぞ」と周囲に知らせながら、保育園児のベビーカーを押し、高齢者の手を引いて高台に向かって走り続け、全員無事に避難することができたといいます。

これほどまでに教訓が活かされたところもあれば、逃げられるのに逃げなかった人もいる。東北視察1の冒頭でも触れましたが、防災教育が進んでいるエリアでの地震。何があったのかを知る必要があります。

~ ゾーン2、事実を知る ~

被害の全容

陸前高田市内の状況

陸前高田においては情報通信網となる庁舎が被災し、被害状況の把握がなかなかできませんでした。災害時は壊滅的な被害を受けているところほど、連絡がつきません。消防庁舎も被災しており、消防車両もない中で、初期消火は困難を極めました。

殉職した消防団員も151名と非常に多い地域でありました。最も多かったのは大船渡市の155名。岩手県内だけで679名の消防団員が亡くなっています。

消防団は「自らの地域は自らで守る」という精神に基づき、地元の有志で組織されることから、地域と深く結びついた活動がその特徴です。

地震直後、被災地域の消防団員は、強い使命感のもと、津波が迫りくる中で、水門閉鎖、避難誘導、一人で避難できない人達の救助、消火活動にあたりました。その後も、過酷な状況の中、捜索活動や、避難所運営支援、物資搬送など、長期にわたり献身的に地域の為に活動しました。

発災時に、危険を伴いながらの活動。どうやったら、消防団員の安全を守れるかが問われ、現在は水門のほとんどは、遠隔操作が可能となりました。

流された消防団の車両
震災後に出来た水門

解説員の熊谷さんの知り合いも避難誘導、避難支援を行っている最中に亡くなったそうです。声をかけても「逃げない」という人も多かったと聞きます。皆が素早く逃げることで、団員の負担も減る。そして、次の誰かの命を守ることにつながるということを知ってほしい。とおっしゃっておりました。

TSUNAMIメモリアルから見える旧道の駅 タピック45 10年経った今も生々しい現場

<上部にある赤い看板。津波到達高14mとある。気仙中学校の屋上にあった津波到達高を表す看板には14mとなっていた。それなのに、何故防潮堤は12mなのか?>

素朴な疑問として、何故、津波到達高に合わせて防潮堤を作らなかったのかを聞いてみたところ、地元民や役所とも話あって決めたこと。何mあるから、大丈夫ということは無い。防潮堤はあくまで、安全な場所へ避難する為の時間稼ぎであるとのことでした。

地震があったら津波は来る。とにかく逃げる。防潮堤があっても逃げる。防潮堤は時間稼ぎ。高さには頼らない。

震災直後の撮影。海側はイベント会場として使えるように観客席がありました。この三角形の形状は津波の力を受け流すことが出来た為、建物は倒壊しませんでした。最上部に3名の方が避難し助かっています。極寒の中、1昼夜を過ごしたそうです

~ ゾーン3、教訓を学ぶ ~

震災直後の動き 

岩手県知事は地震発生後、約6分で自衛隊に災害派遣要請、病院は大きな揺れを受け、災害医療体制にシフト。消防団や警察も一斉に避難誘導に動き出し、皆が命を救う為の動きを一斉にスタートしました。

そのような状況下で、逃げること出来たのに、すぐに逃げなかった人が約4割という数字を見ると、何とも言えない気持ちになります。

逃げなかった理由

・津波のことは考えもしなかった約9%

内陸部の人は、まさかここまで津波が来るとは思っていなかったそうです。停電の影響で、警報、放送システムが作動しなかったところもあり、何も放送が無いので安心してしまったということです。

・過去の地震でも津波は来なかったから 約11%

話は、東日本大震災1年前に遡ります。2010年にチリ地震が発生して、大津波警報が発令されました。東北で32万人に避難指示が出ましたが、結果は1m前後の津波。被害もほとんどなく、多くの人が「こんなものか」と思ってしまったことが、逃げられるのに逃げなかった一つの要因として挙がっています。

また「正常性バイアス」という心理的な思い込みが働いたのも大きな要因と言われています。正常性バイアスとは自然災害などの危険が目の前に迫っていても、日常生活の延長線上の出来事だと判断し、「自分は大丈夫」「まだ安全」などと思い込んでしまう人間の心理的な傾向のことを言います。

・自宅に戻ったから 約22%
・家族を探したり迎えに行ったから 約21%

この2つは、実際には同じような理由になるのかなと思います。大切な何かが家にあった。大切な家族が家にいた。助けなくては!という思いは、何よりも強いもの。自分自身の安全を守るということより優先されてしまうケースがあると思います。

実際、消防団員や警察がいくら止めても、家族を助ける為に、海の方に向かう人が相当数いたといいます。

私自身、親として、万が一、家に子供が残されていたら。自分のことは考えず、「ただ助けたい」と津波が来ていようともそこへ向かってしまうかもしれません。ただ、それは正しい行動では無いのだと思います。

どうしたら、皆が助かるか。これはもう、一人一人が最善を尽くすしかありません。「あの人なら、あの子ならきっと、避難している」そう信じて、自分自身も最善を尽くす。

信じられるだけの準備・訓練を日ごろから行うこと。これに尽きると思います。

災害時の道路啓開 くしの歯作戦

人命救助、捜索する部隊を被災地に送り込む緊急輸送路を確保する為に。ガタガタであろうがなんであろうが、いち早く車両が通行できるルートを啓開する必要がありました。国交省主体で、自衛隊、民間の建設企業の協力もあり、道路網は比較的速やかに回復し、震災7日後の3/18には97%のルートが開通。そのルートの形から、くしの歯作戦と名づけられました。

非常に効果的な作戦であったことから他の地域でも、災害時は同様の支援ルートを作れるように計画が進められています。

課題と対応

  • 沿岸市町村が壊滅的な被害を受けた為、情報通信が途絶してしまい安否確認が困難だったといいます。

震災後、災害時における通信システムの確保。無線以外の伝達手段、複数の情報伝達手段確保を確保。

  • 避難行動マニュアル 従来の津波想定、避難計画に限界があったとされます。 その為、避難支援従事者が犠牲になってしまいました。

震災後、最大クラスの災害を想定した計画に変更し消防団員との連絡手段を確立。さらに、水門は遠隔操作が出来るようにしました。

  • 非常用電源の不備が生じ、燃料も不足していました。

震災後、非常用電源を各方面に配備し、発電能力も強化。またそのための燃料も備蓄するようになりました。

  • ゴミ・瓦礫の処分も課題となりました。

なんと!88%がリサイクルされました。

  • 3月14日~15日頃から不審者が出て不安だったといいます。

被災していないエリアの消防団員が交代で巡回を始めてくれました。

東日本大震災津波の経験から見えてきた避難上の課題

たくさんの情報をまとめて出たポイントは4つ。

  1. 防潮堤を超える津波は来る!
  2. ハザードマップの正しい理解と活用を!
  3. 津波警報・避難情報 より正確な情報を届ける、受け取る努力を!
  4. 日頃から要配慮者を共に助ける取り組みを!

~ ゾーン4、復興を共に進める ~

こちらは教訓をもとに自然災害に強い社会を築く為に。一人でも多くの未来の命を守る為に考えるコーナーでした。

 1、まずは「てんでんこ」から始める。

とにかく一人で高台に逃げろ。自分の身は自分で守れ!

まずはこの意識を徹底して共有しましょう。消防団員が多数亡くなっていることから分かるように、自力で逃げられる人間が、正しい避難行動をするだけで、他の命を助けることになります。要配慮者の支援に注力することが出来るようになります

そして、どうしたら逃げれるか、どこへ逃げるのか、どこを通って行くのか。家族と連絡を取り合う手段は。何を持っていくのか。しっかり考えましょう。

2、共に生きる

自分もコミュニティの一員である。コミュニティのことを知り、

そこに参加することが大事です。

防災意識の共有や、課題の確認、防災訓練、避難訓練、図上訓練を行うことで防災力の向上を図りましょう。

3、学びあう。

防災力を高めるために、自然を知る。知恵と技術を共有する。備える。

防災意識を継続する為に。何を、どこで学び、伝えるか。

考えてそれを実際に行動を移すことが防災技術の向上につながります。

⇒災害時の適切な判断が出来るようになりましょう。

知恵と技術は未来をつくる礎となります。

4、まちを一緒につくる

未来をつくるために、思い描く。皆で考える。

どんなまちをつくる?

安全なまち。住み続けたいまち。

どうすればよいでしょうか。

産業・福祉・教育・医療など地域の個性を活かし

それぞれの立場で出来ることがあります。

ここにあるのはヒントです。未来をつくるために。皆さん自身で考え、自ら行動し答えを見つけていきましょう!

東日本大震災から10年 3.11を忘れない<小松店長の東北視察3>に続く↓