1995年1月17日に発災した阪神淡路大震災から30年が経ちました。それまでに、あれほどの大震災を経験したことが無かった私には衝撃が強く、防災に対しての考え方が大きく変化した出来事になりました。毎年、犠牲になられた方々を想い黙祷をしながら、防災に携わる者として何か世の中の役に立つことができているのかを考えます。この30年間に人的被害のあった大地震がいくつも起こり、阪神淡路大震災の記憶が徐々に薄れていく中、この地震を振り返り、風化させない為に記事にしました。
インフラの寸断
近畿圏の広域が大きな被害を受けました。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えました。犠牲者は6434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものとなりました。
交通関係
港湾関係で埠頭の沈下等、鉄道関係で山陽新幹線の高架橋等の倒壊・落橋による不通を含むJR西日本等合計13社において不通、道路関係で地震発生直後、高速自動車国道、阪神高速道路等の27路線36区間について通行止めになるなどの甚大な被害が発生しました。
阪神高速道路3号神戸線(延長39.6km)の倒壊は、震災の甚大な被害を象徴するものとして世界中の新聞の一面に大きく掲載されました。
橋脚1175基のうち637基、橋桁1304径間のうち551径間が損傷し、中でも東灘区(深江地区)では全長635mにわたって高架橋が横倒しになる(17基の橋脚が倒壊)という極めて衝撃的な光景が見られました。
水道・ガス・電気
ライフライン関係では、水道で約123万戸の断水、下水道で8処理場の処理能力に影響が生じ、工業用
水道は最大時で289社の受水企業の断水がありました。地震直後は約260万戸の停電、都市ガスでは大阪ガス(株)管内で約86万戸の供給停止、加入電話は、交換設備の障害により約29万・家屋の倒壊やケーブルの焼失等によって約19万3千件の障害が発生するなどの被害が生じました。
道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などの生活インフラがすべて寸断されて、広範囲において機能しなくなりました。
関西では1946年の南海地震を最後に地震が少ない時期に入っていたため、「関西では大地震は起こらない」という神話が広まっていたことも被害を拡大しました。これ以降、都市型災害および地震対策を語る上で、「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」などの行政の対策などが注目されるようになりました。
発災時の環境
時刻
発生時刻が冬季の早朝であったため、公共交通機関・道路の利用率が少なく外出者も少なかったことで、市街地・自宅外での被害は抑えられ、多くの市民が自宅での被災だったため、帰宅困難者などが発生しづらく、安否確認が比較的容易な状況でありました。
また、発災が早朝であった為、人員や物資が整った中で、初動以降の生存確率が高い時間帯に救助活動を行うことができました。日中は照明機材が無くても活動できるので、夜間と比べて生存者の発見や救助活動自体が比較的容易でした。
気温
発災した1月は気温が一年で最も低くなる時期とはいえ、甚大な被害が出た神戸市の1月の最高気温は
10℃前後、最低気温は3℃前後となる気候・地理条件で、高温が原因となる熱中症や、低温が原因となる凍傷等が発生する条件ではなく、このことにより、倒壊家屋に閉じ込められた被災者を衰弱させる要因がなかったことが人的被害を抑えたと思われます。
加えて、多くの被災者が就寝時の被災であったことから、本震時は毛布で身体を覆うことで落下物から
防護したり、救出までくるまって暖をとっていたりした被救助者もいたそうです。
地震発生時は風が穏やかで、発生時刻が早朝だったために火の使用も少なく、降水量が少ない中でも延焼が最小限に抑えられました。これらの事象から、時間・季節・地理的な条件が、災害時の被害の大小
に大きく関与することがわかります。
特筆すべきこと
以下に、阪神淡路大震災の特徴、震災後の社会に及ぼした影響を書き出します。
阪神淡路大震災をきっかけにうまれたもの
最後に、阪神淡路大震災の教訓を生かして開発された、今も防災グッズの主流ともいえる優れた商品をご紹介いたします。
防災グッズ編
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緊急用愛の笛ヘルピ~
- 価格:
- 420円(税込)※参考価格
- 種類:
- イエロー/オレンジ/ブルー/ピンク
特徴 人の耳に一番聞こえやすいとされる3200Hz付近の音が出る、科学の笛です。 メーカー 相日防災株式会社 阪神淡路大震災では、瓦礫に埋もれて亡くなった方が多くいました。
「電池式ブザーが誤作動で鳴ってしまい、掘り起こしたら人がいなかったということも」「大きな笛で高齢の人はちゃんと吹けなかった」「ずっと大声で呼び続けるのは疲れてしまって難しい。声も枯れてしまいます。」というような実情を知った弊社(相日防災株式会社)社長が中心となり、防災用のホイッスルとしてヘルピ~を開発しました。
ヘルピ~は、少ない力吹いてもピーッと人の耳に届きやすい音が出るので、周囲の人に気づいてもらえる可能性が高くなります。 -
ラクラク39バール
- 価格:
- 4,180円(税込)※参考価格
特徴 女性・年配者でもラクラク使える「軽くて」「強い」救助用バールです。 メーカー (株)タニコー 阪神・淡路大震災を体験した代表水谷氏は、近隣の人たちの救助活動を目の当たりにし、「バールのようなものを持っていれば、もっと楽に救助ができる」と痛烈に感じます。その後、東日本大震災の際にそのことを思い起こし、被災地にバールを送ろうとホームセンターに飛び込んだところ、そこには細く重たいバールしかなく、女性や高齢者では扱うことが難しく、いざというときに使いづらいのではないかと気付きます。
「“ もっと楽に使える” バールを作れないか」これがきっかけで緊急救助用バールの試作を始めました。 -
防災用缶詰マッチ[マッチ&ローソクの缶詰]
- 価格:
- 462円(税込)※参考価格
特徴 いざという時にマッチが湿気らない、完全防水仕様のマッチ缶です。 主な内容品 マッチ(約10本入)×2箱、ローソク(約4時間)×2コ入り 神戸市内で被災したメーカー(株)ナカムラが開発。阪神・淡路大震災の教訓を活かし、緊急避難時対策商品として企画されました。災害時長期保存用で、缶を開けなければ中のマッチも湿気らない、完全防水仕様。
非常食編
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缶入りソフトパン
- 価格:
- 432円(税込)※参考価格
- 種類:
- オレンジ/ストロベリー/ブルーベリー
特徴 缶詰スタイルで、パン屋さんのおいしいパンを長期保存可能に。 メーカー パン・アキモト 阪神・淡路大震災の際、アキモトではトラックを準備し、救援物資として焼きたてのパンを被災者へ届けましたが地震による混乱のため、せっかく作ったパンは半分以上が「賞味期限切れ」となり、処分されてしまいました。
この出来事を教訓に、「焼きたてのような食感や風味で、やわらかくて美味しくて、しかも乾パンのように保存性のある製品」を開発しました。 -
水だけあれば餅
- 価格:
- 432円(税込)※参考価格
特徴 腹持ちが良く、満腹感があるので、災害備蓄用の非常食として最適 メーカー クロレラ科学研究所 神戸市内にあるメーカーさんの、阪神・淡路大震災時の被災体験から生まれました。
電気やガスが使えない災害時でも、少しの水さえあれば、いつでもどこでも食べることができる優れもの。お餅の上から水をそそげば、アッという間にやわらかいお餅の出来上がり! -
レスキューフーズ1食ボックス
- 価格:
- 980円~(税込)※参考価格
特徴 火も水も使わずに、温かい食事がとれる発熱剤が付いた非常食 メーカー ホリカフーズ ホリカフーズは、すでに自衛隊向けの非常食を納品してきた実績はあるものの一般向けの非常食は販売していませんでした。
阪神・淡路大震災の被災者へ調査すると、温かい食事を摂れるものがほとんどないことに気づき、火を使わなくても温かいものが食べられる非常食の開発をはじめました。
被災者のニーズをもとに、主食のご飯にカレー・牛丼などの副食を組み合わせた他、みそ汁などのスープも加え、食事としての開発が進められました。
おわりに
阪神淡路大震災は、色々な教訓を残し、その後の防災に多大な改革、改善をもたらしました。
残念ながら、地震大国日本には、今後も大地震が必ず起こります。私達には、阪神淡路大震災からの教訓を生かし、対策して少しでも被害が少なくなるよう日頃からの自助努力が必要です。(文・峯尾)
参照:内閣府 防災情報ページ 阪神・淡路大震災教訓情報資料集阪神・淡路大震災の概要https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/hanshin_awaji/earthquake/index.html
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』阪神・淡路大震災https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
出典:神戸市 阪神・淡路大震災『1.17の記録』
https://kobe117shinsai.jp
阪神淡路大震災
特筆すべきこと
阪神淡路大震災は、福井地震を契機として新設された「震度7」が適用された初めての事例であり、実地検分(気象庁の地震機動観測班による現地調査)によって震度7が適用された最初の事例でした。
死者のうち二十代が三十代よりも2百人近く多く、年齢階層ごとに死者数が増える東日本大震災と異なった様相を呈しています。二十代が多かった理由としては、大学が多い神戸市灘区などで木造アパートに住んでいた学生が、倒壊したアパートの下敷きになったケースが多いためと見られています。
インフラの復興には他地域の電力会社・ガス会社などの多くの職員が復興応援のために現地入りし、全国各地から数多くのボランティアが駆け付けるなどし、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われます。後に内閣は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めました。
同震災で、被災者らが避難生活中にどこでも使えるカセット式のガスコンロを調理などに利用していましたが、当時のカセットコンロ・ガスボンベの規格が厳密には規定されていなかった為、メーカーの異なるカセットコンロ・ボンベの互換性は完全ではなく、被災者間においてカセットボンベの貸し借りができない場合がありました。これを教訓として1998年2月20日に日本工業規格「カセットこんろ」「カセットこんろ用燃料容器」の改正が行われ、ボンベの形状が一種類に規定されました。