「まさか自分のところに」「今回も大丈夫だろう」――東日本大震災の証言の中には、こうした思い込みが被害を大きくしてしまったケースが繰り返し語られています。TOHOKU VOICEの取材班が聞いた3つの証言を通じて、危機意識と油断というテーマをまとめてご紹介します。
#033 あまりに身近な津波

民宿さかやの女将さんから伺った、震災当時90歳だったお姑さんの話が印象に残っています。地震の後、お姑さんは庭石に座って海を眺め、「もう少ししたら波が引いて津波が来るから一緒に見よう」と、女将さんを誘ったそうです。お姑さんは昔、引き波の時に海底が露出した場所へウニやアワビを拾いに行っていた経験があり、津波をそれほど身近な自然現象として捉えていました。幸い、津波を目撃した後は高い場所へ避難して無事だったとのことですが、この話から、海沿いに暮らす人にとって津波がいかに日常に近い存在として受け止められていたかが伝わってきました。
この話を取材した人:30代 女性 A・K
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#062 津波の恐ろしさ

今の気仙沼の海はとても穏やかで、津波の映像を想像することができないほど気持ちのいい景色でした。それでも語り部ガイドの芳賀さんによれば、津波は「くるぶしくらいの高さでも人間を簡単に押し流してしまう」ほどの威力を持ち、水だけでなく板などさまざまなものを巻き込んで押し寄せるといいます。実際に、50メートルほど流されながらも木にしがみついて一命をとりとめた方の話も伺いました。海の恵みと、牙をむいたときの自然の恐ろしさは、人の知恵をはるかに超えるものなのだと感じました。
この話を取材した人:40代 男性 H・T
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#067 大丈夫と思った時ほど危ない

市が指定した避難場所だった体育館には、2階・3階に相当する構造があり、内部には安全性への懸念もありながら避難場所として指定されていたそうです。震災当日、約80人がこの体育館に避難しましたが、天井まで水が達し、天井の鉄骨につかまった3人と、近隣の消防署の屋上鉄塔につかまった5人のみが助かったといいます。翌朝には、体育館から聞こえていた悲鳴が聞こえなくなっていたという話に、言葉を失いました。大船渡伝承館の齊藤賢治館長は「防潮堤、防波堤、避難所、ハザードマップなどはあくまで目安であり、これがあるから安心というわけではない」と語ります。「大丈夫と思った時ほど危ない」という言葉を、重く受け止めました。
この話を取材した人:40代 女性 S・N
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3つの証言を通じて伝わること
「大丈夫だろう」という思い込みは、過去に何度も津波を経験してきた土地に暮らす人ほど、かえって根強く残ってしまうことがあります。行政の指定避難場所やハザードマップも、あくまで目安に過ぎません。危機意識を保ち続けること、そして「今回は大丈夫」という油断をいかに手放せるかが、命を守る分かれ目になるのだと、3つの証言を通じて感じました。
同じ「慣れが生む危険」というテーマは、「リアスアーク美術館 山内宏泰館長インタビュー集」のTOHOKU VOICE #005「大丈夫だった経験が重なり生んだ慣れ」でも取り上げていますので、あわせてご覧ください。
TOHOKU VOICEについて:このテーマ別引用集は、全社員130名が東日本大震災の被災地を訪れて記録した「TOHOKU VOICE」プロジェクト(全69話)の一部を、共通のテーマで再編集したものです。プロジェクト全体については「TOHOKU VOICE」をご覧ください。スタッフによる被災地視察レポートは「東日本大震災と被災地の記録」でご覧いただけます。
