
石巻市立大川小学校
2021年3月1日、東北視察最終日に旧大川小学校を訪問しました。

津波到達までの50分間に何があったのか?
当時の学校の状況
本震発生後、児童・教職員は校庭に避難していました。

避難開始まで
マニュアルでは二次避難場所が「近くの公園または広場」としか具体的に指定されておらず、校庭から移動を開始したのは津波到達の約1分前でした。15時25分には市の広報車が高台避難を呼びかけていましたが、裏山への避難は選択されず、川に向かって移動してしまいました。校長が不在で、勤務年数の短い教職員が多かったことも背景にあります。

津波到達
本震発生から約50分後の15時36分頃、8.6mの津波が襲来。校庭にいた児童78名中74名、教職員13名中10名が亡くなりました。

大川小学校の惨事を考える
大川小学校の震災前と津波到達後
震災前と津波到達後の様子を比較しながら、何が起きたのかを確認しました。



注目点を整理する
マニュアルの二次避難場所が具体的でなかったこと、避難開始の判断が遅れたこと、裏山という選択肢がありながら川に向かって移動してしまったこと、意思決定を担う人員が不足していたことなど、複数の要因が重なっていたことがわかります。

何故、救えなかったのか。どうすれば救えたか。命をつなぐために事実を知り、考える。
教訓
ハザードマップの定期的な確認、二次避難場所の具体的な指定、意思決定体制の事前確立、保護者との連携強化が必要であると指摘されています。
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