東日本大震災から10年 3.11を忘れない<小松店長の東北視察2>いわてTSUNAMIメモリアル

2日目は高田松原津波復興祈念公園の中にある、いわてTSUNAMIメモリアルで、解説員の熊谷さん(震災当時、高校1年生)の体験談もお聞きしながら施設内を視察しました。その膨大な資料から学んだことを、自分なりにまとめてご紹介します。(視察の際は新型コロナウイルス感染症の対策を万全に行いました:マスク着用・手指消毒の徹底、ソーシャルディスタンスを保っての取材)

東日本大震災から10年 3.11を忘れない<小松店長の東北視察2>いわてTSUNAMIメモリアル

ゾーン1:歴史をひもとく

ポイント1:速度の脅威
海岸付近の10m程度の浅瀬でも時速36km。オリンピックの100m選手並みの速さになります。

ポイント2:高さへの過信禁止
30cm程度の波の高さでも足を持っていかれるといわれており、地震が来たら海・川から離れて高台に避難することが鉄則です。

ポイント3:地震規模と津波の無関係性
1896年に起きた明治三陸地震では震度2から3の緩い揺れだったが、約30分後に最大22m程度の津波が東北地域を襲い、22,000人の死者が出ました。これを受けて1980年以降、岩手県はハザードマップを配布したり防災教育に力を入れるようになり、1990年以降には「つなみてんでんこ」という言葉も生まれました。

いわてTSUNAMIメモリアル ゾーン1:歴史をひもとく の展示

津波てんでんこの意味と効果

「津波てんでんこ」は、津波が来たら取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ、自分の命は自分で守れ、という意味です。実際、これを標語に防災訓練を受けていた釜石市内の小中学生は、地震の直後から教師の指示を待たずに避難を開始。「津波が来るぞ、逃げるぞ」と周囲に知らせながら、保育園児のベビーカーを押し、高齢者の手を引いて高台に向かって走り続け、全員無事に避難することができたといいます。

いわてTSUNAMIメモリアル 津波てんでんこに関する展示

ゾーン2:事実を知る

陸前高田市内の状況

陸前高田では情報通信網となる庁舎が被災し、被害状況の把握がなかなかできませんでした。災害時は壊滅的な被害を受けているところほど連絡がつきません。消防庁舎も被災しており、消防車両もない中で初期消火は困難を極めました。殉職した消防団員は151名と非常に多く、最も多かったのは大船渡市の155名。岩手県内だけで679名の消防団員が亡くなっています。

いわてTSUNAMIメモリアル 陸前高田市内の被災状況に関する展示

消防団員の役割と犠牲

消防団は「自らの地域は自らで守る」という精神に基づき、地元の有志で組織されることから、地域と深く結びついた活動が特徴です。地震直後、被災地域の消防団員は強い使命感のもと、津波が迫りくる中で水門閉鎖・避難誘導・一人で避難できない人達の救助・消火活動にあたりました。その後も過酷な状況の中、捜索活動や避難所運営支援、物資搬送など長期にわたり献身的に地域のために活動しました。発災時に危険を伴いながらの活動をどうやって守るかが問われ、現在は水門のほとんどが遠隔操作可能となっています。

いわてTSUNAMIメモリアル 消防団員に関する展示

解説員の証言と教訓

解説員の熊谷さんの知り合いも、避難誘導・避難支援を行っている最中に亡くなったそうです。声をかけても「逃げない」という人も多かったといいます。皆が素早く逃げることで団員の負担も減り、次の誰かの命を守ることにつながるということを知ってほしい、と語っていました。

防潮堤についての素朴な疑問

気仙中学校の屋上にあった津波到達高を表す看板には14mとあったが、なぜ防潮堤は12mなのか。この疑問を聞いてみたところ、地元民や役所とも話し合って決めたことで、「何mあるから大丈夫」ということはなく、防潮堤はあくまで安全な場所へ避難するための時間稼ぎであるとのことでした。地震があったら津波は来る、とにかく逃げる、防潮堤があっても逃げる、防潮堤は時間稼ぎであり高さには頼らない、ということです。

津波到達高を表す看板

ゾーン3:教訓を学ぶ

震災直後の動き

岩手県知事は地震発生後約6分で自衛隊に災害派遣要請、病院は大きな揺れを受け災害医療体制にシフト、消防団や警察も一斉に避難誘導に動き出しました。そのような状況下で、逃げることができたのにすぐに逃げなかった人が約4割という数字があります。

いわてTSUNAMIメモリアル 震災直後の対応に関する展示

逃げなかった理由の分析

「津波のことは考えもしなかった」約9%:内陸部の人はまさかここまで津波が来るとは思っていなかった。停電の影響で警報・放送システムが作動しなかったところもあり、何も放送が無いので安心してしまった。

「過去の地震でも津波は来なかったから」約11%:東日本大震災の1年前、2010年のチリ地震で大津波警報が発令され東北で32万人に避難指示が出ましたが、結果は1m前後の津波で被害もほとんどなく、「こんなものか」と思ってしまった人が多かった。また「正常性バイアス」(危険が目の前に迫っていても日常生活の延長線上と判断し「自分は大丈夫」と思い込んでしまう心理的傾向)も大きな要因と言われています。

「自宅に戻ったから」約22%、「家族を探したり迎えに行ったから」約21%:大切な家族が家にいた、助けなくてはという思いが自分自身の安全より優先されてしまうケースがあります。消防団員や警察がいくら止めても、家族を助けるために海の方に向かう人が相当数いたといいます。どうしたら皆が助かるか、これは一人一人が最善を尽くすしかなく、信じられるだけの準備・訓練を日頃から行うことに尽きます。

災害時の道路啓開:くしの歯作戦

人命救助・捜索する部隊を被災地に送り込む緊急輸送路を確保するため、国交省主体で自衛隊・民間の建設企業の協力もあり、道路網は比較的速やかに回復し、震災7日後の3/18には97%のルートが開通しました。そのルートの形から「くしの歯作戦」と名づけられ、非常に効果的な作戦であったことから他の地域でも同様の支援ルートを計画できるよう進められています。

課題と対応

通信システムの課題として、沿岸市町村が壊滅的な被害を受けたため情報通信が途絶し安否確認が困難だったことから、震災後は無線以外の伝達手段や複数の情報伝達手段の確保が進められました。避難行動マニュアルの課題として、従来の津波想定・避難計画に限界があり避難支援従事者が犠牲になってしまったことから、最大クラスの災害を想定した計画に変更し、水門の遠隔操作化も進みました。非常用電源の不備が生じ燃料も不足していたため、震災後は非常用電源を各方面に配備し発電能力を強化、燃料の備蓄も進めています。ゴミ・瓦礫の処分も課題となりましたが、88%がリサイクルされました。不審者対策として、被災していないエリアの消防団員が交代で巡回を行いました。

いわてTSUNAMIメモリアル 震災後の課題と対応に関する展示

東日本大震災津波の経験から見えてきた避難上の課題

①防潮堤を超える津波は来る、②ハザードマップの正しい理解と活用を、③津波警報・避難情報はより正確な情報を届ける・受け取る努力を、④日頃から要配慮者を共に助ける取り組みを、という4つのポイントにまとめられます。

いわてTSUNAMIメモリアル 避難上の課題まとめの展示

ゾーン4:復興を共に進める

1. 「てんでんこ」から始める:とにかく一人で高台に逃げる、自分の身は自分で守るという意識を徹底して共有すること。自力で逃げられる人間が正しい避難行動をするだけで、他の命を助けることになり、要配慮者の支援に注力できるようになります。どうしたら逃げられるか、どこへ逃げるか、どこを通って行くか、家族と連絡を取り合う手段は何を持っていくか、しっかり考えておく必要があります。

2. 共に生きる:自分もコミュニティの一員であることを知り、参加することが大事です。防災意識の共有や課題の確認、防災訓練・避難訓練・図上訓練を行うことで防災力の向上を図りましょう。

3. 学びあう:防災力を高めるために自然を知り、知恵と技術を共有し、備える。防災意識を継続するために何を、どこで学び、伝えるか。考えて実際に行動に移すことが防災技術の向上につながります。

4. まちを一緒につくる:未来をつくるために思い描き、皆で考える。どんなまちをつくるか。産業・福祉・教育・医療など地域の個性を活かし、それぞれの立場でできることがあります。ここにあるのはヒントです。未来をつくるために、皆さん自身で考え、自ら行動し答えを見つけていきましょう。

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